仏教情報センターいのちを見つめる集い講演録

アクセスカウンタ

help RSS 自分史から、いのちを見つめる

<<   作成日時 : 2009/11/12 10:58   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

いのちを見つめる
〜自分史から、いのちを見つめる〜(VOL.187)
株式会社寺院デザイン代表取締役
薄井 秀夫 氏


 且實@デザインというのはお寺を対象とした出版や情報提供その他いろんな事をやっている会社でして、目標は、お寺にもっと自由な活動をしてもらって、それが我々日本人にとってもっともっと存在感があって、心の安らぎになってくれる存在、そんなふうになっていただきたいというものです。
 そういう願いに基づいて会社を続けております中で、今年の春から取り組んでいる「自分史」について今日はお話させていただこうと思います。
 その前に、お寺という場所でお話するに当たって先週聞いた話を一つご披露します。 
最近は、家族を亡くした悲しみがとても深くてなかなか立ち直れないとか、或いは悲しみのあまり体調までおかしくなってしまうという方が結構多いのだそうです。そういった方々の精神的ケア(グ
リーフケア)について研究しておられる大学の先生から、「イギリス人の同じ研究者から、日本人には家の中に故人と正面から向き合える場所があるから羨ましいよ、イギリスには無いんだよって言われてね……」という話を伺いました。
 それは正しく仏壇のことなんですね。仏壇が在ることによっていつでも亡くなった人と向き合えるし、そうすることで精神的ケアが出来ているように思うと、キリスト教を背景とした学者さんが言ったというのです。
仏様に手を合わせる場所、故人に手を合わせる場所、ただそれだけの所と思っていた仏壇が、精神的ケアまでやっているとは、驚きでした。海外の人からみると羨ましいことなのだそうです。
 
     ◇          ◇

 さて「自分史」ですが、最近結構流行っていて、ちゃんとした書籍の形にする方もいらっしゃいます。ただ、そこまで考えるのは大変な事なので、簡単に自分史について考えてみましょうというのが今日のテーマです。
 そもそも私が自分史というものについて興味をもったのは一人の友人の死がきっかけでした。
数年前になりますが、学生時代の友人が亡くなりまして、それを半月ぐらい後まで知らなかったんです。ある日ある友人から「○○が死んだって聞いたけどお前知ってるか」という電話がありました。初耳で驚きました。とにかくその真偽を確かめなければと他の友達数人に聞きまして、どうやら半月ぐらい前に亡くなったらしいことと、お葬式はしなかったらしいことが判りました。どういう事情があってのことなのか、多分内々で済ませたんだと思います。
 それで、友達同士で「お焼香に行かなきゃまずいよね」、「行きたいよね」、「知らせが無かったのに行ってもいいのかなあ」、「どうしよう」などと言ってるうちにタイミングを逃してしまって、実はまだ行ってないんです。それがもやもやとした気分でずっと心に残っています。
事情が判りませんので無責任なことは言えませんが、おそらく故人がお葬式などを好まなかったか、もしくは遺された家族が好まなかったか、どちらかだとは思うんですが、当時、自分がないがしろにされたような気分になりました。
 その友人とは一年ぐらい会っていなかったので、頻繁に会う友人ではなくなっていました。でももう三十年以上の付き合いです。こういうことを言うと彼の奥さんには失礼になるんですが、結婚してまだ六年にしかならない奥さんよりも、子供の頃から一緒に遊んだ私のほうが付き合いは長いんです。その私に知らせてくれないなんて、とすごく不満というかひがむ気持になって、そこもちょっと自分自身で整理がつかなかったんです。何か事情があったんだろうし、人それぞれに想いもあるし考え方もあるんだから、それを尊重しないわけにもいかないだろう、と思いながらもどこか釈然としない気持になっていました。
 そんな中で思ったのは、彼の人生は彼自身のものだし、それこそ結婚された奥さんや家族にとってとても大切な人生だったと思う。でも私にとっても彼の人生というのはすごい大切なものだった、と。長い付き合いの中では喧嘩もしましたし、ほんとにたくさんの想い出があります。五〜六年連絡を取らなかった時期もありましたけれども、でもやっぱりすごい大切な存在でした。
 そういうことを思った時に、人はいろんな人との関わり合いの中で生きていることをあらためてつくづく感じました。彼の死は涙を流すチャンスがなくて、だからはっきりとした区切りがなくて、それがほんとに釈然としないけれども、でも私にとっては重大な事件だったのです。
 そして、自分が死んだ時には誰に来てもらいたいかなあって思ったのです。指を折って数えながら、あいつとあいつとと想い出していきました。するともう十年も二十年も会っていないような人も頭の中に浮かんでくるのです。もうずっと別々の道を歩んでいるんだけれども、でもやっぱりどこかで気持が通じ合っているのか、想い合ってる部分というのはあるんだなあと思いました。
 その中に、こんな人にも来てもらいたいんだと自分自身が意外だった人が何人かいました。
 長い間生きていると喧嘩別れした人っていますよね。十年も二十年も経った今考えてみると、何であんなことで言い合いになったのかなあっていうような人もいるわけで、そういう人にも是非来てもらいたいと思ったのです。多分これから先も連絡を取る機会はないかも知れないし、連絡先も判らないので会うきっかけもないかも知れないけれども、自分のお葬式って考えた時に、そういった人達の顔が浮かんで、それがちょっと嬉しかったですね。喧嘩したこと、行き違いがあったこと、それには後悔もあるし、怒りがゼロになったわけじゃない部分もある。だけど葬式に来てほしいと思うということは、自分の中で昇華していってるのだなと感じ、嬉しかったのです。
 そんなふうにして、人間は人生の中でいろんな人に支えられて生きているということを再確認できた時に「自分史」を思いつきました。
 そして、自分史というのは生まれてからのいろんな出来事、入学・就職・結婚などを書いていくのが一般的な自分史だと思いますけれども、私はそれとは別の視点、誰と会ったか、どんな人と一緒に生きてきたか、どんな人とどんな時間を共有したか、つまり出来事ではなくて 人 ということを基に自分史を考えてみたいなと思いました。
それをすることによって自分の人生をちょっと違った角度から見られるのではないかなと思ったのです。

     ◇          ◇  
 
 ではお配りしました『私の人生―自分史ノート』を開いてみてください。これはそれぞれの世代毎にその時の自分というものを書くようになっています。
最初は出生のページです。ここが一番記入し易いところでして、
・私の名前
・生年月日
・両親の名前
・生まれた場所
・生まれた時の体重
・血液型
・私の名前の由来
以上の項目がありますが、今日は折角なので少しだけ書いてみましょう。名前の由来の欄に、両親がどういう想いで付けたのか、何となく聞いていると思いますのでそれを書いてみてください。
書き終わった方で、どなたか由来をお聞かせくださいませんか。
☆ 豊子と申しまして、母が自分の同級生の中で一番優秀だった人の名前を付けたと聞いています。
☆ 名前は明吉ですが、由来は聞いておりません。親の何かの想いが込められていたとは思いますが、残念です。ただ名前については、小学校三年生の時に先生から「お前は明吉じゃなくて暗吉だ」と言われたんです。母親が一年生の時に死んでいるせいか、先生は深い意味はなく言ったんでしょうが、未だに忘れられません。
☆ 父親が、将来の幸せを願って幸子と付けたんです。でも未熟児で生まれて、病気ばかりして、その上足に障害があって、名前とは正反対の人生を歩んできたなあと思っています。でもその未熟児が来月八十才を迎えます。ありがたいと思う反面、こんな私が長生きをさせて貰っているのは何故だろうといつも考えます。

 ありがとうございました。
 出生の次は小学校・中学校・高等学校・その後の学校・二十代・三十代・〜七十代の各ページがありますが、今度は中学校のページを書いてみませんか。
・学校名
・クラブ活動
・一番印象に残っている先生の名前
・その先生について覚えている事があれば(例えばどんな先生とか言われた言葉、迷惑を掛けた事など)
・友人を一人挙げれば?
・その友人との想い出(例えば一緒に廊下に立たされたとか、同じ人を好きになったなんてこともあるかもしれません)
・今だから言えるひと言(先生か友人かどちらでもいいです。想い浮かべて、今彼にこう言いたい、彼女にこういうことを言いたいというものがあれば書いて下さい。ありがとうの一言でもいいです)
 またどなたか書いたことを聞かせてくださいませんか。
☆ 私が中学生の時はいろんな事がありまして、一番大きな出来事は自宅が全焼したことです。母と私が外出先から戻ると柱だけしか残っていませんでした。三年生の時は腎臓を患って長期欠席です。毎日放課後、級友が交替で家に来て勉強を教えてくれました。それが温かな友情として新聞にも載ったんです。三年間同じ先生で、火事の時も病気の時もいろいろと面倒をみていただいて、今は年賀状だけですけれども毎年頂戴しております。未だに気にしてくださいまして、とてもありがたいと思っております。

 ありがとうございました。
 今朝、会社へ行く電車の中で、今日はお寺でお話をするのだから何かお寺に関係するような話はあるかなあと考えていました。そしてふと思ったのは、ちょっと僭越なのですが、お釈迦様が自分史を書くとしたらどういう想いで書かれるかなあって考えたんです。
 ご存じのようにお釈迦様は立派な方で、二千六百年経った今でも、我々にいろんなことを教えてくれる素晴らしい存在なんですけれども、その人生を辿ってみると、必ずしも順調だったわけじゃなくて、人生の所々でいろんな事件、或いはおそらく、嫌なというか、つらい想いをたくさんされたと思うのです。
 ある小さな国の王子として生まれ、何不自由なく生きてきて、ある時「これでいいのかな」と疑問を持ち出家されたわけです。出家されるきっかけの一つに、住んでいたお城を出た時に、そこには病気の人がいて、老人がいて、亡くなっている人がいて、そういった人々を見た時に人生って何だろうと考え苦しんだ、と伝えられています。
 それをきっかけに出家されるわけですが、次の国王になる人が、しかも奥さんも息子もいるのに、それを全部捨ててお坊さんになるという、その決心は相当なものだったと思います。と同時にかなり非難されたに違いありません。子供を捨てるわけです。妻を捨てるわけです。まして国の跡継ぎがいなくなるわけですから、当然いろんな人からつらい言葉を浴びせられたでしょうし、相当嫌な想いをしたことと思います。
 それから有名な話で、お釈迦様がだいぶ歳を取られてから、お弟子さんがたくさんできて、ある時弟子の一人の提婆達多(だいばだった)という人が、結構たくさんの弟子を引き連れて、言わば独立したんです。これは裏切りですから、いくらお釈迦様とはいえその時に何の想いもなかったってことはないと思うんです。怒りを感じたかどうかは判りませんが、少なくとも嫌な想いはしたと思います。
 これが我々凡人であれば怒りも感じるし、失望も感じるし、割り切れない気持になります。それをお釈迦様は経験しているわけで、その素晴らしい人生の中でもいろんな浮き沈みがあって、その中で生きてこられたと思うんです。
 で、晩年のお釈迦様にご自分の人生を思い返して何かに記してほしいと頼んだら、その時こういったつらい想いをした事件というのを、どういうふうに思い返されるかなあと思ったんです。
 当然我々凡人とは違いますので今さら怨みに想ったりということはないと思います。ですが、そのつらい想いというものは多分忘れていないと思うんです。おそらくその想いを良い方向に昇華して転化していらっしゃる。それがお釈迦様の人生なのだろう、と。だから結局、提婆達多に裏切られたことも、おそらくその後のお釈迦様の教え、或いは人生の糧になっていると思うのです。
 そういったことをお釈迦様はごくごく自然になされていて、その温かさとか、諦めの良さとか、自分自身のことを昇華できる能力とか、そういったものがあって、それが二千六百年経った我々にも伝わってきているように思います。
 昇華というのは我々には難しいですね。私は皆さんに比べたらまだまだ短い人生しか歩んでいませんけれども、その中でも嫌な想いというのを結構しています。人に裏切られた経験はおそらく殆どの方がされていると思います。それは一回二回かも知れませんし、たくさん裏切られた人もいるかも知れない。でも、そういったものを、時間を掛けてだんだん昇華していくのが人生なのかなと思います。
 私自身、もう五〜六年前の話ですけれども、仕事でとても嫌な想いをしたことがあって、それも結構継続的に嫌な想いをしていたので、精神的に不安定になったし、あまりにもうつうつと考えていたので体調がすごく悪くなっていました。そういうことがあって、当時の半年間ぐらいのことは今でも想い出すと嫌な気持になります。
 でもあの時の嫌な想いというのは、今の糧に全くなっていないわけではなくて、今も少しはあの時の嫌な想いがあるからこそ、今もっと、少しは上手に生きていられるし、人にも少しは優しく接していられるのではないかなというところはあるんです。
 だからそうやって嫌な想いをすることをどんどん昇華していくのも人生なのかなと、お釈迦様の人生をみても感じます。それが今朝思いついた、もしお釈迦様が自分史を書いたらという有りもしない話の結論です。

 折角ですからもう一つ書いていただきましょう。私がその嫌な想いをしたのが三十代の時でした。三十代って働き盛りだし、家庭でも子育てがあったりとか、人それぞれにいろんな事がある時代だと思います。バラ色の時代だった方もいるでしょうし、そうではなかった方もいるでしょう。その三十代を想い出していただきたいのです。
・住んでいた場所
・当時の仕事(家事や育児も含めて)
・好きだった事(趣味や映画や旅行等)
・当時、苦労した事
・印象に残る人(十年間ですから大勢の人と出会っていると思うので一人挙げるのは難しいかも知れませんが、友人・同僚・上司・後輩など誰か一人を)
・その人との想い出
・その人に今だから言える一言
 どなたか、聞かせて下さいますか。
☆ 住んでいた場所は高田馬場で、いい仕事はありませんでしたねえ。多難な時代だったと思います。好きな事は碁を打つとか酒を飲むぐらいでした。でも金が無かったので度々はできなかったですけどね。それでも考えてみると、カミさんが水商売をしたいというので店を一軒立ち上げました。あんな貧乏な中でよくやれたなと思います。その当時の印象に残る人はブローカー仲間のIさんです。半分やくざでしたが、とてもざっくりした人で妙に気が合いましてね、なかなか異色的ではありましたが、良い出会いだったと思っています。迷惑も掛けたり掛けられたりでお互い様でした。
☆ 私の三十代は母親が脳梗塞で倒れまして、介護に明け暮れました。全く初めての事ばかりでしたので、慣れないことと、医療関係の方や介護関係の方との出会いが印象に残っています。昨年母を看取ったんですけれども、もっといろいろやってあげればよかったと、今は後悔ばかりで、それもこの集いに参加した一つのきっかけです。

 それぞれの時代に、皆さんいろいろな想いがあって、思い返してみると多分、良いこともたくさんあったと思うし、悪いこともたくさんあったと思います。きっと両方とも大切なその時の自分の人生だと思います。そして、悪い事を昇華してその事と正面から向き合うのはなかなか難しいことではありますが、私には前述の半年間の嫌な時期で仲違いした人がいるわけですが、それを今こうやって喋れるまでになったんです。少しは昇華できているんですね。正直まだ、その人と会ってにこにこ笑いながら話すっていう勇気はありません。そうなるまでにはまだ時間が掛かるだろうな、でもいつかはそうなりたいな、という想いはあります。

     ◇          ◇ 
 
 今日お配りしました自分史ノートを一ページ一ページ辿ることによって簡単な自分史を作ることができるわけですがその時に大切な事が四つあります。
一つは「想い出す」。当たり前ですが一つひとつ自分の人生を想い出していかなければ書けません。想い出すことで、今まで気付かなかった事や人生の愛おしさなどに気付きます。そして嫌な事も、今となっては笑って話せるとか、良い想い出になったねというふうに、時間が経てば昇華ということもあります。また、親に受けた恩とか友人との優しい想い出、それらを想い出して噛みしめればどこか懐かしい温かい気持になれます。
二つめは「伝える」ということ。自分自身を書くというのは、自分のためであると同時に家族に自分の人生を伝えるという意味があります。妻(夫)であっても相手の子供の頃を詳しくは知らないわけですから、或いは我が子に、私がどんな子供時代を過ごし、どんな事を考え、どんな想いで子供の誕生を見つめたか、そういったものが後になってからでもいいから、伝わったらいいなあと思います。逆に言えば、そういうものを子供や家族に伝えておかなければいけない。照れくさければ隠しておけばいいんです。何十年後かに見つけて喜んでくれると思います。また友人には、面と向かっては言いにくい感謝の言葉を記しておくといいですね。
 三つ目は「楽しむ」。想い出にひたる楽しみもありますし、新しい発見もありますし、残された時間への希望を考える機会にもなります。ただ書き込むのではなくて、想い出すことの楽しさを感じながら綴っていくといいですね。
 四つ目は「認める」。家族や友人などいろんな人に支えられて生きてきたということが自分史を綴ることで判ってくると思います。また、それぞれにいろんな人生がありますがその人なりに懸命に生きてきたはずですから、そうして頑張ってきた自分、良い事も悪い事も両方あって今の自分がある、そういった自分自身を認めるという意味合いも、自分史を作るという行為の中にあると思っています。

     ◇          ◇
 
 ひとつ最後にエピソードをお話したいと思います。
 私が山梨県に住んでいた時に、地元神社の秋祭りの直会(なおらい)の席で隣りに座った方から聞いた話です。神社の総代さんで七十代半ばの方でした。以前から顔見知りでしたがゆっくり話したのは始めてで、戦地の満州からシベリアへ抑留されたことやロシア人の中にも善い人がいたことなど、私にとっては教科書の中での話でしかなかった事柄で、それを経験した人がまだいるんだということは想像だにしなかったことでした。
 そして話は戦後の生活に移りまして、実は自分のカミさんは、元は兄貴の女房で息子は甥だったんだよっておっしゃるんです。私はすぐには理解できませんでしたが、昔はよくあった話しなんだそうですね。独身の弟が郷里に復員してみると、自分より先に戦地に行った兄貴は帰らぬ人になっていた。そこでその弟が兄の未亡人を妻にして甥を長男として入籍するなど、戦前の家制度の中では血を絶やさないとか家を存続させるということが重要視されていましたから、ごく自然なことだったようです。
 現代の感覚からするとちょっとびっくりするようなお話でしたが、でもすごく仲の良いご夫婦で、甥御さんである息子さんもそのお嫁さんも一緒にお住まいで、とても好いご家族でした。もしかしたら折々には嫌なこともあったかもしれないけれど、少なくとも私の目には今はすごい幸せなんだなと見えましたし、それが人生なんだなと、すごく感じさせてもらいました。
そのように自分に起きた出来事をきちっと昇華する能力が、幸せに生きていく力になるのだと思います。私など、昔起きた嫌な事とかを昇華しきれなくて残っている部分が多いんですけれども、それらをできるだけ無くしていって、正面から自分の人生と向き合える人生こそが、多分素晴らしい人生なんだろうなと、いろんな人から教わっているわけです。
今日お配りした自分史ノートを通して、自分の人生の中のいろいろな事を、これから進む人生のプラスの糧にしていただければ有り難いなと思っております。

(21.9.24「いのちを見つめる集い」より)

講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込み下さい。
送料込み1000円


文中の『私の人生―自分史ノート』を購入希望の方は且實@デザインへお申込み下さい。
1冊800円(税込)・送料別
電話 03・6658・4248

テーマ

注目テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
自分史から、いのちを見つめる 仏教情報センターいのちを見つめる集い講演録/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]